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目を覚まして生きていく

相手の立場になって考えるとは?

先日、「共感を得ようと思うのをやめる」という記事を書きました。  

ブックマークでコメントをいただいたので、もう少し具体的に、私にとっての共感とは何か?相手の立場になって考えるとはどういうことか?についてお話してみようと思います。

共感の辞書的な意味は、他人の考えや感情に対して自分もその通りだと感じることです。

そして共感は出来る時と出来ない時がある。

共感できなかったとしても、相手の気持ちを尊重して寄り添うことはできる、というのが私の考えです。

世の中には、相手の感情を自分の感情のように感じて共感しすぎてしまうエンパスやHSPと呼ばれる個性を持った方々がいます。

こういった個性を持っていると、自他の境界線が引きづらく生きづらいと感じてしまうことも多々あるようです。

でもこういう個性を持った方々は他の方々よりも人の痛みに敏感なので、親身に人に寄り添うこともできます。 

私はHSP的な気質はありますが、エンパスではない…と思っています。

自分としっかり向き合い自己受容できるように意識を変えてからは、自他の線引きはしっかりとするようになりました。

人に寄り添う上では、自他の区別が出来ていることが重要だと思います。

もし相手と同化してしまったら、一緒に沼にはまってしまいます。

それは寄り添うこととは違うんじゃないかと思います。

そして相手の立場になって考えてみる、というのは必ずしも共感につながるとは限りません。

共感は相手の考えや感情に同意することです。

相手の立場になって考えた結果、共感するなと思うこともあります。

でも、なるほどそういう考えや感情を持っているんだな、と理解は出来ても自分も同じ考えや感情は持てないこともあります。

分かりやすく言うと 

「私の考えはAなんだけど、あなたの考えはBなのね。Bという考えを持っていることは、しっかり理解したよ。」

という感じで、Aの考えを押し付けることもしないし、Bの考えを否定もしません。

そうなんだね、と受け止めるだけです。

共感出来ない時は、Aである自分もBである相手も尊重します。

これが私にとっての相手の立場になって考えるということです。

「何でBという私の考えを理解してくれないの??」と過剰に望むのは、相手に承認欲求を満たしてもらおうとしているだけです。

例え理解してもらえなくても、自分の軸がしっかりとしていれば、自分は自分、相手は相手と切り離して考えることができます。

そして他に共感できる部分があれば、一致しないところが少しあるくらいで相手を嫌いになったりはしません。

少なくとも私はそうです。

そして自分は正しいという思いが強すぎると、承認欲求も強くなります。

すごく極端なことを言えば、この世の中では正しい人も間違っている人もいない。

あくまでも自分のものさしで測って、正しいとか間違いを判別しているだけです。

だから必要のない人間、排除されるべき人間はいないと思います。

合わない者とは距離をおき、合うもの同士が自然に集まりそれぞれの場所で生きていく。

現実世界では対立や争いが絶えないので、こんな簡単にいかないことは重々承知していますが、そういうことだと思います。

前回の記事で、人は一人では生きていけないけど、でも一人だと言いました。

そのことを受け入れられれば、自分と違う相手を尊重できるし、協力して生きていこうと思えるのではないでしょうか。

 

みんな自分の人生の主役であり、誰かの人生の脇役です。

みんな自分だけの世界で生きていますが、誰かが協力してくれないとドラマティックな人生の展開が起こりません。

だから助け合いながら、それぞれの人がそれぞれの人生を輝かせていけばそれで良いのだと思います。