共感とは…他人の考えや感情に対して、自分もその通りだと感じること。
尊重とは…尊いものとして重んずること。
良好な人間関係を維持するために必要なことは、相手に対して「共感」や「尊重」する態度を示すことだと思います。
他人を「尊重」することは、基本的にはいつでもしたほうがいいし、自分もされたいですよね。
でも「共感」に関しては出来る時と出来ない時があります。
共感できない、もしくは共感してもらえないからといって、その人間関係がだめというわけではないです。
そんな違いがある時こそ、「尊重」する、またはしてもらえることで良好な人間関係をキープできます。
前置きが長いですが、「共感を得ようと思うのをやめる」ことで自分が楽になるし、近くには残るべき人が残る…そんな話をしようと思います。
今は個人がSNSで発信をすることで、ものすごい数の人と繋がれたり、一躍有名になることも可能な時代です。すごい時代ですね。
でもそんな時代だからこその落とし穴もあります。
リアルな生活が満たされない人がSNSに依存してしまう。自分をよく見せるために嘘の上塗りをしている人もいると思います。
登録数や再生回数やいいね!の数を自分の価値と勘違いして傲慢になったり、逆にだめな人間だと自分を貶めてしまったり。
数字に関しては、その媒体に適したテクニックを駆使して努力すればある一定のレベルまではあげることができると思います。
ただかなりの時間と労力をそこに割かなければいけないと思います。
そこに価値があると自分が見込んで、なおかつ楽しんで出来るのであれば何の問題もないかもしれません。
ですが、SNSにハマりすぎて日常生活に支障をきたすような人は、そこに本当に自分が求める価値や人間関係が存在するのか、一度立ち止まって考えてみたほうがいいのかな…と思います。
自分の認知度を高めたい、認められたい、好かれたいと無理をして共感するふりをしたり、自分の本心からずれた、人から共感されそうな意見を言っていいね!をもらったとして…その結果得られるのは、何だろう?
私も一応隅っこのほうでこっそり情報発信してますから、疲れたな~と思うたびに立ち止まり考えています。
私はマイペースにやっているほうだとは思いますが、これでも以前はやはり人から良く思われそうな意見や話題に触れたほうがいいのかな?と悩むこともありました。
でも今は特別人から共感を得ようとは思いません。
来る者は私の基準で選びます。
そして去る者は追いません。
何か上から目線で偉そう…と思いますか?
選ぶ権利は誰にでもあります。
受け入れるか否か
共感するかしないか
残るか立ち去るか
全て自由です。
自由であることを許容するのが「尊重」することだと思います。
共感しないなんて冷たい人…そんなことはありません。
共感できなかったとしても、寄り添うことはできます。
引き止めないなんて冷たい人…そんなことはありません。
引き止めないのは、時と場合にもよりますが相手の意思を尊重しているから。もしも相手の自由に介入するとしたら、それなりの覚悟がいります。
こんな風に私は考えています。
私には今友人と呼べる人はいませんが、仮に親友と呼べるような相手がいたとしても一心同体ではありませんので、同じように接すると思います。
人は一人では生きていけません。
でも人は一人なんです。
みんな自分だけの世界で生きている。
同じ世界を共有しているというのは、本当は幻想なんだと思います。
相手が自分と繋がることを望むかどうか、それは相手の自由。
私がコントロールできることじゃないし、したくもない。
相手に委ねる、そして自分もきちんと自分の基準で選ぶ。
そうすれば、その時々で本当に必要な人間関係が残るのではないかと思います。
できませんよ…。
一人の人間との強固な信頼関係を築くのでさえ大変なのに、できるわけがない。
再度言いますが、人は一人では生きていけません。愛を学ぶためにも人との関わりは大切。
でも本当に必要な数はそう多くない。
そう思ったら、もっと素の自分を出してその自分を好きと思ってくれる人がいるだけでいいんじゃないかな、と思います。
もっともっと楽に生きていきたい。