今日は、最近気になる言葉について少し考えてみました。
その言葉とは、「気遣い」と「心遣い」です。
どっちも似たような意味なので、普段自分が人に対して行っているのが「気遣い」なのか「心遣い」なのかちゃんと認識している方は少数ではないかと思います。
どちらも人に対する思いやりを表す行為ですから、どちらが良いとか悪いの話ではないです。
でもちょっと深掘りして考えてみると、対人関係において自分がどういう心理状態で接していて、それが双方にどんな影響をもたらすかについて明確にするヒントになるのでは、と思います。
以下は辞書的な言葉の意味とは関係なく、「気遣い」と「心遣い」に対して私が個人的に抱くイメージです。
「気遣い」
疲れる
損得感情に左右される
上下関係に影響を大きく及ぼす
片想い
「心遣い 」
疲れない (疲れにくい)
自分の心が満たされる
上下左右のない対等な関係
両想い
ざっくりと簡単にですが、イメージとしてこんな違いを感じます。
片想い・両想いは恋愛に例えると分かりやすいかな、と思って加えました。
このキ―ワ―ドで比較してみた時、自分はどっちの割合が多いと思いましたか?
相手によってうまく使い分けているパターンもあれば、どちらかに偏っている場合もあるかもしれませんね。
他人との境界線を引くのが上手な人は、バランスよく使い分けていると思います。
自己犠牲的な人、もしくは対人関係を損得で考える傾向が強い人は、「気遣い」をする割合が多いかもしれません。
「心遣い」できる割合の多い人は、自分にも他人にもきっと優しい人が多いんだと思います。
「心遣い」は、する方もされる方も嬉しいですし、自分の気持ちに正直に従うわけですから自分に優しくしていることと同じです。
そしてそれが本当の「心遣い」ならば、いつか誰かから自分に対して「心遣い」が返ってくるはずです。
しかし、「気遣い」にしろ「心遣い」にしろ、残念ながら無視されたり、投げ返されたりすることも時にはあると思います。
その時は、TPOに応じた大人の対応で自分を守ればいいと思います。
ここで無理をして自分をいじめると心を病んでしまいます。
他者と調和して生きていくために、「気遣い」「心遣い」を上手にできる人になりたいです。
もしも自分を取り巻く人達が「心遣い」したいな!って思える人ばかりだとしたら、とてもハッピーですね。
そういう人間関係は温かい気持ちが常に循環しているので幸せにきまっています。
今まで相手との関係性や先入観から、最初から「気遣い」をして接していた人に対して、「心遣い」で接してみたら、もしかしたら関係性が変わるかもしれません。
「気」より「心」を遣われるほうが嬉しいはずですし、「心」で接したら相手もきっと今までと何か違うな…と気がつくと思います。
幸せの循環を生み出したければ、まずは自分からそのスタートをきろう!
いつの間にか、そういう思考になっている自分に気がつきました。
これは嬉しい変化です。
閉ざしていた心の扉が少しづつ開放されてきています。
このブログでも、文字を通じて自分の「愛」なんて言うと、大げさで嘘っぽく聞こえるかもしれませんが、そういった気持ちを届けていきたいと思います。