私はこの言葉が好きです。
意味は、
一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。
幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。
今までの人生の中で一番最初に、人生万事塞翁が馬、の経験をしたのは大学受験の時です。
私は学生時代、いわゆる真面目な生徒で学校の勉強は得意なほうでした。
公立中学校から私立高校へ、推薦で進学しました。
大学も推薦での進学が可能だったのですが、行きたい学部がなかったので受験することにしました。
今思えば、本当に「井の中の蛙大海を知らず」の状態でした。
自分の本当の実力も分からず、無謀な受験をして大失敗しました。
予定外の結果で、びっくりするやら、自信をなくすやらでしばらくは茫然自失状態でした。
でも浪人するという選択肢は自分にはなかったので、必死に勉強して受ける予定のなかった大学を受験して何とか滑り込みました。
勉強が得意な自分に価値を見出だしていた時は、いつもどこか心の中が苦しかったです。
成績が下がるのが怖くて、テスト前はしょっちゅう徹夜してました。
本当に頭の良い人は徹夜なんてしませんよね。
なんて非効率的なんでしょうね…。
落ちた時は、自分を否定されたみたいですごくショックでしたが、同時に何かが解放されたような気もしました。
自分の中では、茫然自失状態を抜けた後は、もう開き直っていました。
どうにでもなれ!と思って、でも全力は尽くして受験しました。
縁があって入った大学は、一般的に最終学歴として自慢できる、人からすごいね~、といわれるようなところではないです。
落ちた時は不運だと思いましたが、今思えば受験に失敗したことは私にとって幸運でした。
なぜなら、勉強ができない自分になったら価値がなくなる、という自分で勝手に作った鎖を外すことができたからです。
もう見栄をはらなくていい、頑張らなくてもいい、そのままの自分でいいんだ、という状態になってすごく安心しました。
そして当たり前のことなんですが、成績や偏差値が人の価値を決めるわけではない、ということに気づけました。
中学・高校は苦しかったですが、大学生活は楽しむことができました。
私はずっと無理をして、自分ではない者になろうとしていました。
だから元の自分に戻るために、天の計らいによって、大きな挫折を味わうことになったんだと思います。
当時の自分は、本当に視野が狭くて、自分を大切にできない子だったなぁ…。
でも方向性は間違ってたけど、自分を確立したくて一生懸命だったね!って抱き締めてあげたい気持ちでいっぱいです。
こうして大学受験失敗により、学歴の呪縛からは解かれました。
そして昨日は、「自分でよかった」という記事を公開しました。
学歴の呪縛から解かれた後には、
「幸せのモデルケースにはまれない自分に自信が持てない」
というまた負のル―プに永いこと閉じ込められました。
40歳を過ぎて、ようやく本当の本当の自分に近づきつつある現状です。
完全に抜けきったわけではなく、たまに沼にはまりそうな時もあります。
一進一退ですが、昔の自分に戻ることはもうない。
それだけは確信が持てています。
最後に、
「人生万事塞翁が馬」
この言葉を今の社会に向けて送ります。
今の苦しい社会から未来のより良い社会へ移行するためには、これから困難な時代がまだ続くと思います。
迷子になりそうな時は、この言葉を思い出してください。
今現在、まだまだ世の中がずっとざわついていますね。
世界中でも日本においても、個人レベルでも、何だかもやもやすっきりしない状態が続いています。
でも広い広い視野で、長い長い時間軸で見ていきましょう!
「人生万事塞翁が馬」
善と悪
光と闇
幸と不幸
いずれも見る視点が変われば、その中身はくるくると反転します。
希望を捨てず、一喜一憂せず、中庸でいることを意識して生きましょう。