地球ゲ―ムを楽しもう♪

目を覚まして生きていく

右とか左を越えた世界

人は生きていると、

育った環境や出会う人々に影響されて、

無意識に何かしらの思想や信条に染まってしまうということがあると思います。


例えば、○○主義という考え方。


どんな考え方にも、100%良い又は悪いということはないと思います。

どんな考え方であろうが、

その社会に存在する人間の精神性が低ければ争いは起こるし、

精神性が高ければ、平和になると思います。


政治の世界などでは、右とか左などの考え方がありますが、

もうそういう枠組みをも越えていかないといけない時節が到来している気もします。


国を蘇らせるのには、「官」の力だけでは限界があると思います。

やはり「民」の力が必要です。

「民」とは、民間企業のことだけではなく、

私たち一人一人の力も入ります。

一人一人の思いの力は、大きいです。

こうしたい!という思いがないと、現実は希望どおりにはなりませんよね。

当たり前のことです。

意識は水面下で繋がっています。

自分の思いは、水面に広がる波紋のように浸透していきます。

だから一人一人が、自分の理想の幸せな現実を思い描きましょう。

そして何でもいいので実現するための行動を起こしてください。
どんなに小さなことでもいいです。

きっと同じような思いの人のエネルギーと共鳴するはずです。

「類は友を呼ぶ」という言葉は悪い意味で使われることが多いイメージですが、良い意味で「類は友を呼ぶ」状態を作っていけたら、自分の世界はどんどん良くなっていきますね。

上の人たちに世の中を良くしてもらおうと思って期待して待ったり、文句を言っても何も変わりません。

上の人たちが庶民の方を向いていなければ無駄な努力に終わります。

そういったことに関心を持つな、という意味ではなく、やはり自分の世界は自分で変えていく以外にないということです。

私たちが出来ることは、自分で自分の世界を良くしていくことだと思います。
その輪を広げていけば、幸せの範囲も広がります。

それがひいては世界の平和につながっていく。

幼稚園児みたいな、単純な考えかもしれませんが、それが本質だと思います。

大きなことはしなくていい。

極端に言えば、自分のことだけを考えていればいい。


これは自分勝手、自分中心という意味ではないですよ!

全ての人が、本来の自分を生きる。
互いのでこぼこを補い合いながら楽しく生きていく。
そんな世界の実現を望みます。


※ちなみに私は政治に関心がないわけではありません。
選挙の投票は欠かさず行っています。
与えられた権利を自ら放棄することはしません。

努力の種類

普段、自分は何かに対して努力している、という意識はありますか?

何事も個人の自由ですから、努力ってしてもしなくてもどちらでもよいものだとは思います。

努力してますよ、もしくは努力したいと思っているという前提の話です。

 

努力にも種類がある。

①人と比較して勝つための努力

②自分が喜ぶための努力

 

①は苦しくて、勝ったとしても満足するのは一瞬。

今度は追いかけられる恐怖との戦い。

維持するのは一苦労。

②は、心が欲することの達成により満足が持続する。

喜びは恐怖とは無縁。

維持するには、常に自分に正直であれ。

よきライバルと切磋琢磨して、お互いに高め合える関係というのは、

それぞれが②の努力をしている人たちですね。

中には①の、人と比較して勝つ状態が楽しくてたまらない、という人もいるかと思います。

断っておくと、これは別に良い悪いの問題ではないのでどちらでもよいです。

ただ、私が思うに①の状態が好き、楽しいというのは表面上だけで、深層意識ではやはり恐れがあるのではないのかな?と考えてしまいます。

自分の存在そのものを肯定できていない場合、何か別のもので埋め合わせようという心理がはたらいてしまうと思います。

競争することや勝とうとすることが悪いのではなく、そのことで自分に対する無価値感や虚無感を解消しようとすることがよくないのではないか、ということです。

無価値感や虚無感はいくら競争に勝ち続けることが出来たとしても、自分の中が変わらない限り絶対に埋まらないものだと思うからです。

永遠に満たされることのない競争を続けるのは、自分だったら辞退したいなと思います。

だから私は努力するならば、②の自分が喜ぶための努力を続けていきたいなと思います。

 

と、ここまでで記事を終わりにしようと思いましたが、ちょっと足りない部分があるかも…と思いました。

 

生きていくために、大切な人を愛し守るために、お金というものが必要である以上、②ではなく①の状態で生きざるを得ないという場合もありますね。

だから今の世の中、苦しむ人がたくさんいるんですものね。

言うは易く行うは難しだよ、そんなの理想論だよと言われてしまえばそれまでです。

でも①の状態でがんじがらめで苦しい人がいるならば、少しでも②の生き方を意識していけたらもっと楽に楽しく生きられる、そう思います。

 

 

 

カメレオンになる

多面体の自分。

昨日と今日で違う自分。

色んな自分を受け止める。

自分はこういう人間だ、と決めつけない。

振り幅は広くていい。

幅いっぱいに太い芯が1本あるのと、細い芯が何本もあるのと、どちらが強靭か?

太くて強い芯が1本あるのもいい。

でも私は細くても柔軟性のある芯を何本も束ねたような人になりたい。

そのほうが、簡単には折れない強さがあるような気がする。

カメレオンが体色を変化させるように、ころころ変化する人間は信用できないでしょうか?

大切なのは、目的地を設定すること。

カ―ナビに目的地を入力すれば、その時々で最適のルートを提示してくれるので、あとは指示通りに進むだけです。

絶対にこのルート、と限定すると遠回りしたり、時間内にたどり着かない可能性もあります。

振り幅を広げるとは、その時々の最適のルートに沿って柔軟に進路変更する可能性を常に持っておくことです。

同時に複数のルートは進めませんが、自分の中に一つだけじゃない別のルートが潜在していることを把握しておくことは、常日頃からの防災訓練と同じ効果をもたらすと思います。

色んな自分がいることを直視して認識しておく。

そうすれば、適材適所でその時必要な自分の一面が前面に出てきて、出番のない面は暴走せずに大人しく眠っていると思います。

 

目的地を入力せずに只ひたすら1本の道を走るよりも、目的地を入力してあとは気ままにドライブを楽しみたいです。

 

 

かっこ悪い大人になろう

いきなりびっくりしましたか?

かっこいいの間違いじゃないの?

いえ、今日はかっこ悪い大人になることを推奨するお話です。

かっこ悪いよりかはかっこよくありたいと思う人が大半だと思います。

そもそもとして、かっこいいってどんなイメージでしょうか?

見栄えがいい、機能やデザインなどが優れている、それ故に心惹かれる…そんな感じでしょうか。

人でいえば、単純に美男美女、スタイルが良い、スポーツが得意、頭が良い、面白い、物事を効率よく無駄なくスマートにこなす、等々色々思いつきますね。

上記の特徴を複数兼ね備えていたら、高確率で人からかっこいいと思われそうです。

でも私は最近思うんですよ。

仮に上記のような特徴を1つも持っていなかったとしても、どんな人もかっこよく生きることができる!と…。

そのためには、かっこ悪い大人になることだと思います。

少し前に、江頭2:50さんが代々木アニメーション学院の入学式でスピーチをしている動画をみました。

江頭さんは今や人気Youtuberだし、SNSでも拡散されているので、その動画みたよ!っていう人もいるかもしれません。

スピーチはいたって真面目でとても心に響く内容でした。

私は昔のTV出演が多かった時代の江頭さんは嫌いでした。

じゃあ今は好きなのか?というと、そういうわけでもないですが、人に元気と勇気を与えていることは間違いないと思うので、唯一無二の素晴らしい生き方をされていると思います。

まさにかっこ悪いけど、かっこいい生き方をしている大人の象徴みたいです。

もう1つ、かっこ悪い大人になることを推奨しようと思ったのは、自分が外に向けて表現するようになったからです。

1ヶ月ほど前に、stand.fmで音声配信をはじめた記事を書きました。

あれから、ゆるゆるとですが配信を続けています。

このプラットフォームにもかっこ悪いけどかっこいい大人たちがいっぱいいるんです。

発信ツ―ルとしては、ブログ、ツイッターフェイスブック、インスタ、tik tok、youtube等々たくさんあります。

最初の3つは文字が主体

インスタ、tik tokは写真や動画でどちらかというと若者主体

youtubeは動画で年齢層は幅広め

SNSの種類によって年齢層や好みが分かれるところです。

音声配信は自分にとってはちょうどいいツ―ルでした。

私は目で見るよりも耳で聴くほうが好きなのです。

映像がなくても十分伝わるものはある。だから人の配信も聴きたいし、自分も想いを声やピアノの音に乗せて伝えたい。

不恰好でも不完全でも誰も笑う人はいません。(ごく稀にアンチはいるかもしれません)

まだ1ヶ月ちょっとなので、今後どう変化するかは分かりませんが、少なくともstand.fmに関していえば、非常にあたたかい場所だと感じています。

人によっては、マイナスな指摘がなく褒め合うだけのような場所に気持ち悪さを感じる人もいるかもしれません。

確かに改善の余地があるところを見て見ぬふりをしたり、ぬるま湯に浸かっていたらそれ以上成長しないかもしれない…という弊害はあるかもしれません。

でも成長しないといけない、というのも思い込みに過ぎません。

なぜ成長しないといけないのか?と問われた時に、誰もがうんと首を縦に振る正当な理由を述べることができますか?

別に本人が望んでいなければ成長しなくたって、そのままでいいんですよ。

そのことで誰かにしわ寄せがいくような場合は別に対処が必要ですが、今はそういう話ではないのでそこは考えません。

人というのは、自分を否定されずに認めてもらえる、受け入れてもらえる、安心できる、そんな場所であれば、かっこ悪い自分を出すことができます。

かっこ悪い本当の自分を出しているうちに、自然と向上心も生まれてくると思います。

かっこつけようと思うのは、心の奥底に恐れがあるからです。

恐れずにかっこ悪い自分を出し続けている人はかっこいいです!

なぜかっこいいか?

真剣だからです。

深刻ではなくて、真剣です。

真剣にかっこ悪い自分を生きていることが、かっこいいに繋がる。

だから真剣にかっこ悪く生きることを推奨します。

 

本当のかっこいいは、かっこ悪いからはじまる。

 

 

 

 

 

 

本来の目的を忘れない

皆さま、毎日の決まった習慣はありますか?

ブログの毎日更新も習慣ですよね。

私の習慣は、毎日の家事全般と、お風呂上がりの約20分のストレッチと軽い運動をすることです。

ピアノを弾くとか本を読むとかブログ記事を書くのは、やらない時もあるので毎日の習慣ではないです。


今回は習慣化したほうがいいこと、そうでないことを分けたほうが心地よい生活を送れる、というお話です。

どこで線引きをするのか?

それは一人一人違うので、決まった正解はないと思います。

ただ、線引きの基準として、

「何のためにそれをしているのか?」

その目的を忘れないことが大切だと思います。


私の場合、家事全般は、自分も含めて家族が毎日快適に生活するために必要だからしています。

ストレッチと運動は、自分の健康と美容を維持するためにしています。


ピアノも読書もブログも大切です。
でも気分が乗らないこともあります。
私にとって、この3つは楽しい気持ちで取り組みたいことです。

だから習慣化せずに、自分の気持ちに従います。


気分に関係なくどうしてもやらなければいけないこと、やったほうがいいことなどは、習慣化してしまうのが賢明です。


私は飽き性な性格で、しかも運動があまり好きではありません。

でも20分のストレッチと軽い運動は、1年以上ほぼ毎日欠かさず続いています。
今までの人生で初のことです。

この2年間で健康に対する意識がすごく高まったことが、続く原動力になったと思います。

本当に自分に必要だと認識できれば続けられる、ということを体験できました。


一方で、今の自分にとって必要度の低いもの、気が乗らないものを習慣化するのは、ものすごい努力と工夫が必要です。

「継続は力なり」は、私の好きな言葉の一つです。

でも場合によっては、継続せずに方向を変えたほうがよいこともあります。


継続したほうがいいものとは、

※好き嫌いに関わらず、自分の益になること

今の自分が興味を持っていること


すごく時間やお金をかけて取り組んだことは、例えすでに興味を失っていても、中々手放せない人も多いと思います。

サンクコスト効果というものです。

過去に投資した時間やお金はすでに回収不可能であり、さらに投資を続けることは損失につながるにもかかわらず、何かを行ったり、継続したりする心理効果のことです。


ですが、継続できないことは決して悪いことばかりではありません。

要不要をすばやく判断して、新たなチャレンジをする機会を増やす、と前向きに捉えることもできます。

そして、経験したことで無駄なことは1つもないと思います。

思いもよらない形で何かに活かされることもあります。

「だから継続することをやめること」を恐れすぎず、前向きに捉える。

どうしても継続したいことは、徹底的に目的を掘り下げてみる。

本当に自分に必要なことならきっと継続できます。

でもここまで書いておいてなんですが、そんなに肩肘張らずとも、

「やりたいからやる」
「やりたくないからやらない」

というシンプルで楽な生き方でもいいんじゃない?

と年齢を重ねるごとに思う自分もいます…。


自転車の値段に驚いた

今日はなんてことない話です。

先日、息子が14歳の誕生日を迎えた話をしました。

誕生日プレゼントは私たちからは、星のカ―ビィのゲームとぬいぐるみ。

男子ですがけっこうぬいぐるみ好きです。

今は、枕元にデデデ大王(星のカ―ビィに出てくるキャラクター)となぜか鯨のぬいぐるみを置いて寝ています。

さらにぬいぐるみが増えたら枕元はどうなるんでしょうか…。

そしておばあちゃんからは自転車を買ってもらうことになりました。

数年ぶりに買い替えるために自転車屋さんに行きましたが、その値段の高さに驚きました。

電動自転車でも競技専用自転車でもないのに、10万円を超えるような自転車がいっぱい置いてありました。

息子が事前に自転車に詳しい友達から情報をもらっていたようで、それに該当するような商品を見たら軽く8万円を超えるようなお値段。

さすがにそれは予算オ―バ―だということで、もう少し手頃な値段の自転車に決めました。

それでもお値段、約5万8千円。

保険に加入したり鍵や泥よけのパ―ツを購入したりで、ト―タル6万7千円ほどになりました。

私の気持ちとしては、随分贅沢だな…。

自転車ってこんなに高かったっけ?

いや、もっと安いのはあるんですよ。

でも、かっこいい!乗りたい!って思うのは高いんですね…。

今回はおばあちゃんがほぼ全額出してくれたので非常に助かりました。

どうか大切に乗ってほしいです。

 

ということで、ただただ自転車の値段に驚いたというだけの話でした。

 

 

北風と太陽

有名な寓話ですね。

北風と太陽が、旅人の上着を脱がす勝負をする。
北風が強く吹けば吹くほど、旅人は上着を飛ばされまいと必死になる。
次に太陽が照らすと、旅人は自ら上着を脱ぎだす。


息子が幼少期の頃は、うちに絵本がたくさんあり、「北風と太陽」も持っていました。

何度か読み聞かせしましたが、息子はあまり興味を示さなかったような記憶があります。

むしろ私のほうが、熱心に読んでいました。


「北風を吹かせる人間ではなく、太陽の光で照らす人間になりたい」

どんな自分で在りたいか?を考えた時に、北風と太陽のお話を思い出しました。

絵本は、短いお話の中に大切な要素が素敵な絵とともに盛り込まれています。

良質な厳選した絵本は、本質的な学びが得られる素晴らしいものです。


自分を高めるために、セミナーに参加したり、本を読むのもよいことです。

実践的な知識やスキルを身に付けて、実際に活かせるのであれば意味のある投資になると思います。

セミナーや本では、一から十まで丁寧に、「こうすれば成功する」というやり方を教えてくれるかもしれません。

でもそれはあくまでも他人の成功法則であるということを忘れてはいけない。

必ず自分流にアレンジしていかないと、ロボットか操り人形のようになってしまいます。

ただ形を真似るだけじゃなく、自分の信念とか情熱が込められたものじゃないと、人の心は動かない。


一方、セミナーや自己啓発本と比較すると、絵本は圧倒的に言葉の量が少ないです。

「一を聞いて十を知る」というような感性を持っていないと、

絵本の中の言葉に充分な価値や意味を見出だせない、

ということになりがちです。

そして、

「絵本から大人が学ぶべきことはない」

「難しい本を読んだほうが役に立つ」

というような発想になってしまうと、本質からどんどん遠ざかります。

大人は、知識や経験という鎧を身につけて、賢くなったつもりでいます。

でも色んな教えが凝縮された短い言葉の中に本質を見出だせてこそ、賢者といえるのではないでしょうか…。


「一を聞いて十を知る」ということは、
ニから九までは、自分で考えることになります。

全てを丁寧に教えてもらうことが、必ずしも自分のためになるとは限りませんね。


「空白を自分で埋めていく」

「それが本当に自分を生きるということ」